妹弟との確執② 妹・・優しさの押し売り。それはまるで、ヤクザとかわらず・・・

妹弟との確執② 妹は優しいけれどお節介が行き過ぎて迷惑?

生活保護 介護 介護認定 扶養義務 

このページでは妹弟の確執②という事で妹との喧嘩の原因について書いてあります。

  • 母は生前、妹、弟は関わらない方が良いと、私によく言っていました。
  • 母曰く、妹はうんと大変だから・・・

父の介護を通して母の言う意味が何となく理解できました。基本的に優しくておおらかな、細かい事にはこだわらないタイプですが、でも、チョッと大変なタイプですね・・

そして、妹と喧嘩になった原因はお互い父の介護に関する考え方の違いが根底にあったと思います。

私は、自分優先。自分の生活を犠牲にしてまでやる事じゃあない

妹は、父の為にできる限りやってあげたい。

この違いです。どちらも、正しいと思います。私からすれば、そこまで人に押し付けるなら何も父の介護をやらなくてもいい。適当でいいよという事になるんですけどね・・・妹はそれが、わからないらしく、今はラインをブロックしています。恐らく、もう付き合う事もないでしょう。

妹は5●歳、私よりも2歳年下。50歳を迎えるころにようやく年下の男性と結婚した。

妹は私と違いしっかりしていて、優しいが・・。その、優しさがなんというか、タイトル通りの優しさの押し売り、お節介とでもいおうか。

チョッと例えが難しいが、こんな例えになると思う。

柄が可愛らしくて、短くなるまで使っているお気に入りの鉛筆。当人にすれば、短くなった鉛筆でもお気に入りだから、そんな事はちっとも気にしていない。ある日、その鉛筆を床に落とした。妹はそれを拾い上、見ると随分と短い鉛筆だと気が付き、真新しい鉛筆を取り出し、鉛筆を削り、お気に入りの鉛筆の代わりに、その鉛筆を差し出してあげてしまう。まぁ、こんな例えだろうか?

こんなことは、優しさでもなんでもなく、単なるお節介、やさしさの押し売りである。迷惑・・・。妹にはこういう所がある。

また、妹は度々に母にお金を貸していたらしい。そのことは、母から聞いて知っていたが、妹が言うには、その総額は数百万円になるらしい。当時、妹が母にお金を貸していた事は知っていたが、まさかココまで多額のお金を貸していたとは思わなかった。

母が亡くなり父の介護に明け暮れるある日、妹と些細な事で諍い事となった。今どきのLINEでのやりとりの応酬。妹が旅行等で1週間程で父の面倒を見れないという。その期間、父の様子を見に行って欲しいという事だった。まぁ、別にそんな事はたやすい御用。私としては適当に3日おきくらいに身に行けばいいだろうと思っていたが、妹はそれでは足りないらしい、わざわざ、様子を見に行ったかという確認のLINEまでくる始末。私は「今日は行ってない、明日行く」とか適当に受け流していたが、どうやら私の適当な態度が気に入らないらしく、次第にLINEの内容も厳しいモノとなっていった。

そして、妹は、母に貸した金を長男の私に返せと言うのです。もう、脅迫ですよね?なんで、妹には同情しますが、金を借りたのは母、そして父であり、私ではありません。そんな、事を持ち出す妹に私はコレは、弁護士沙汰、脅迫だぞと、このラインの内容は全てスクショ取ってあるからな!後で言い逃れできないぞっと当時、返した様に思います。このヤクザの様な脅迫の理由は、自分はココまで両親の為にやったのに貴方は、大したことしてない!そのくらいして当たり前だろう・・というのが彼女の言い分らしいが、別に頼んでやってもらった覚えもないし、そんな事で強要されるなんて単なる迷惑なだけである。こういう事を言う為に人に優しくするなら、それは単なる優しさの押し売りであり、単なる迷惑である。

人にやさしくするのはいいけど、こういう優しさの押し売りは困ります。まるで、ヤクザの沙汰です。そうです、妹は人に優しくする理由は、自分が優しい人でありたい、そう言う自意識から来ていると思います。

私に言わせれば妹の優しさは、人の道に迷い込んだチョッと頭の良い獣が、子供向けの道徳の本を読んで、安っぽい優しさを学び、「優しさって素晴らしい・・」と思って人のまねをしている獣です。優しくしたのに、それに答えないと獣が姿を見せるのです・・・困った人だ・・・

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姉弟との確執① 弟の言う家長制度の矛盾

弟とは年も近く、20代の前半くらいまでは非常に仲も良かった。ある日のこと弟と大喧嘩をして、それ以降、30年間兄弟らしい付き合いは一切ない。

  • お互い結婚しても報告なし→母から教えられて全て知る
  • 年始の挨拶は無し
  • 子供が生まれても交流さえもない

戸籍上の兄弟、そして垢の他人。それが実弟である・・非常に残念な話だが・・・。

弟は私に対してこう思っている

  • 長男が親の面倒をみるべき
  • 甘やかされて育ったんだから両親の面倒見て当たり前

弟はこのように私の事を思っている様である。しかし、彼の言う事には矛盾とダブルスタンダードがある。

彼の矛盾その①

弟の所の長男は私立高校卒、あるスポーツで有名な私立大学入学、しかも寮生活。コレをこの息子は甘えとは言わないのだろうか?少なくとも、私は私学に通っていない。

弟の矛盾その②

しかも、彼は私が甘やかされて育てられたという癖に、その時分は25歳まで親に煙たがれながら実家に寄生していた。まぁ、生活費くらいは入れていたと思うが、当時の弟はパチカスだった。コレを甘えと言わず何というのだろうか?

弟と大喧嘩をして時から、「親の面倒は長男が見るべき・・・」という時代錯誤な家長制度を持ち出していた。当時は20代、先の事もわからないのにこういう事を言う弟には本当に困っていた。諫めようとしてもどうせ喧嘩になると思い、最悪は事件になる事もあり得るので無視していた。大体、弟の言う家長制度を持ち出すなら、弟は中学を卒業したら働くべきである。所が貧乏な両親に頼り高校まで出させてもらつて、挙句に公団の一室に堂々と居座り居候決め込んでいたのが弟である。挙句の果てに何を考えているのか、公団に当時交際していた今の妻を連れ込み同棲していた。私は、それを知った時に大笑いした事を覚えている。

そして、30年・・・父の介護を無視放棄して私に押し付け挙句の果てに調停沙汰となった弟。そして、請求額が200万円。この額を見た時、弟の妻はどんな反応をしたか知りたいところだが到底無理な話。しかし、大体の想像は付く。まぁ、普通は離婚騒ぎになると思う。ちなみに、弟の長男は私立高校卒、私立大学入学、長女は高校入試(もしかしたら私立)コレで離婚となったら弟は大変である。家を売り、スッカラカンになり家のローンと子供の学費、そして奥さんへの慰謝料で大変だろう・・・。

弟の妻も父が介護が必要な状態であり、そして私と妹が介護していた事を知っているはずである。それを無視して傍観していた弟はきっと家で「あいつにやらせておけばいい・・」、「散々、甘やかされて育てられたんだから・・」とか自分の事を棚に上げてみっともない言い訳を並べていたに違いない。

もし、そんな事を言っていたら弟の奥さんは呆れて発狂するに違いないだろう。「何がやらせておけばいいだッ!介護に協力しないからこうなったんだろう」と弟を詰るに違いない(普通の神経なら)

そして、この事は弟の妻を通して子供達にも伝わる。こういうことを知った子供はきっとショックだろうと思う。自分の父親が調停とはいえ、問題のある行動をしたという事を恥じるに違いない。弟は大人として親として自分の行動を恥ずかしい事をしていると思わないのだろうか?

弟の言う古い家長制度を持ち出すと、自分の息子、長男は自分の介護の為に生んだ事になる?本来なら大学なんて行く必要もないはずである・・長男は親の介護の為に、将来に備えて働き貯金、弟と奥さんも長男の将来の為に貯金、そして長女は中学卒業で家を出て働かせなければならない・・弟はこういう所まで考えていたのだろうか?

因みに、私は今回の父の介護、そして弟との調停の事を子供に話している。話しておかないと子供たちが将来、このような醜い争いを起こす事になる。これから1回目の調停となる。弟は今どうして過ごしているのだろうか?まぁ、他人の事などどうでもいい・・・

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父について 生活習慣病の薬ゼロの父が何故、こうなったのか?高齢の父から学ぶ自分の老後

頑丈で丈夫な父が何故、足が不自由になり、寝たきりに介護になったのか?

父は、非常に丈夫で頑丈な人だった。介護施設にいて寝たきりだが、それでも頑丈だと思う。なぜなら、父はいまだに生活習慣病に関する薬を服用していない。今、施設にいて、食生活は栄養士さんが考えた食事メニューを食べているので、今後も生活習慣病に関する薬は、当面必要ないかもしれない。

父は非常に自己管理がストイックだった。お酒は大好きだが、日常的に塩辛いモノは避け、毎日のように数万歩歩いていた。一時的に血圧の薬を服用していた事もあったが、それも数か月だけだった。

更に父は難聴だから話し声が大きい。という事は心肺が通常の人よりも丈夫だという事もあるかもしれない。その為か?風邪、インフルと言った病気にもあまりかかった印象がない。というか、父が病院に行くということ自体が、そもそもない。父が病院に行ったのは数十年前に大腸ガンの時だけだったと思う。

そんな、父が人生の最後の時期をこのような形で迎えたのは非常に残念でならない。私はいまだに、こんなことが無ければ元気に100歳も夢じゃない体だと思っている。

すべては、自転車での転倒事故が原因だった。それを、楽観視して放置した父の責任だと思う。転倒した当時は激しい痛みがあり、それが続いていた。その状態で杖を使い何とか歩いていたが、それが徐々に痛みが消えて無痛、感覚なし、そしてついに自立歩行困難となった。後から思ったのは、コレは虫歯で言えば神経にまで到達した事を意味すると思った。もう、その時には転倒事故から4年以上経過していた。

歩く事が出来なくなった父の移動方法は胡坐をかき手とお尻を使って歩く、「尻ばい」となった。当然、外出する事は出来ない。当時、妹が買ってきたモノを適当に食べていた。風呂は週に数回となった。

痛みを我慢して放置した事で、父はこのような生活になった。私は度々、父に医者に行くことを進めた。また、実際に行った。しかし、足が不自由で難聴の父の移動は非常に大変だった事もあり、父が通院を嫌がった。そういう状況にあっても「大丈夫、すぐ良くなる」、「リハビリすればすぐに良くなる」なんていう事を言っていた時には呆れ果てた。結局は父が悪いという事になる。

父がショートステイ先の施設から現在、入所する施設への見学の際、車の中でボソリと呟いた

「もっと早めにチャンと医者に行っておけばよかった・・」

怒りがこみあげてきたが、怒り怒鳴り散らすのもかわいそうだと思ったから無言を貫いたが、結局はそういう事となる。

歯と健康は失ってから後悔する。

しかし、責任論云々の話はもう終わったと思う。私は常に父から学んでいる。私も年を重ねいつか、子供の世話になるかもしれない時が来る。その時に親としてどうあるべきか?子供にできる限り負担にならないようにするにはどうしたらいいのか?父の介護をしながら自分と老後と向き合っている。いまだにどうするべきかという答えにはたどり着いていないが、一つだけハッキリとしている事がある。それが、「歯と健康は失ってから後悔する」。口で言うのは簡単かもしれない。実践するとなると難しいと思う人もいるかもしれない。しかし、できる事はあると思う。例えば

  • 定期的に歯医者に通い歯の掃除と検診
  • 大腸がん検診を受ける
  • 人間ドックで検査する
  • 日々の体重測定を行い増減をチェックする

こういう事からスタートしてはどうだろうか?我々世代は100歳まで否応なく生きる人も多く出てくると思う。60歳で生活習慣病の薬まみれ、70代で介護されて100歳までという人生を考えてみて欲しい。ゾッとしないだろうか?

父はあと、何年生きるかわからない、明日かもしれない10年後かもしれない。しかし、父は丈夫で頑丈な肉体の持ち主、死にたくても死ねない残酷、それとも、あんな体になってでも生きようとしているのか?命の尊厳とは何だろうか?そういうことまでつい考えてしまう・・・

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生活保護+要支援2 有料高齢者施設入所への特例をどうやって認めさせたのか?

生活保護+要支援2 有料高齢者施設入所という狭き門への挑戦!

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このページでは生活保護+要支援2の父をどのようにして行政へ有料高齢者施設入所を認めさせたのか?そのことについて書いています。

もし、このブログを読んでいる人の中にご両親が転倒を繰り返して命の危険を感じるような事があれば参考にしてください。

そして、介護による疲弊、危機感を覚えたらまずは、介護老人保健施設(老健)やショートスティ入所を検討してください。そして、決して一人で抱え込まずに地元の福祉課、地域包括支援センターに相談してください。

悩んだ時はコメント欄からご連絡ください。何処までアドバイスできるかわかりませんができる限りの対応はするつもりです。

私が生活保護+要支援2の父の有料高齢者施設入所を行政から許可をもらった方法

監視カメラで父が転倒した時の様子を行政の福祉担当者に見せた事です。

父は転倒すると自力で起き上がる事さえも困難となりました。転倒した時の様子を行政担当者に見せました。この方法が一番です。あれこれと説明するより実際の様子を見せた方が早いです!

これなら客観的に判断できます。また、上司の許可が必要となっても、その映像を持っていけばなっとくしてくれると思います。

私の父は足が不自由な上に、難聴という障害まで抱えています。(障害者手帳2級)そういう、父の一人暮らしは非常に不安でした。妹がスリーコインで見つけてきた監視カメラで父の様子をチェックしていました。度々、転倒したから起こして欲しい、助けて欲しいという連絡が妹から来ました。私は地元の工場に勤めているので上司に事情を話、仕事を抜け出して父を助けに行くという事もありました。

そんな事もあり何とか、施設入所できないだろうか?と考えました。当時はショートスティという考えが思いつきませんでした。今にして思えばショートスティを上手に活用するべきでした。

一般的には高齢者施設の入所は介護3からが一般的です。有料施設は要支援2くらいからの入所も可能ですが、安いところでも20万円近くします。しかし、父の場合はそんな事は言ってられません。生活音が聞こえない、それは火事、水道栓の閉め忘れ等の災害につながります。また、夏になれば転倒して熱中症、そうでなくても転倒して窓ガラスに頭から突っ込み大けが、最悪は・・・という事も考えられます。もう、夏は迫っていると思うと焦らずにはいられませんでした。とても、緊急性の高い事だと思い必死だったことは確かです。

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父が有料高齢者施設に入所するまでの時系列まとめ

私の父が有料介護施設入所までの時系列別説明

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このページでは生活保護受給者の父が有料介護老人ホームに入所するまでの時系列別説明です。

数年前に自転車に乗っていたところ転倒して腰を強打。痛みに耐えながら日々の生活を送る。当時、生きていた母、同居する妹も何度も病院に行くように説得を試し見るが一向に聞かず、「すぐ直る」、「大丈夫」を繰り返す。

2023年末 母が亡くなるまで父は細々と自営業を営んでいた。収入は、その日暮らしが賄える程度の収入。当然、貯金、財産等は無し。母が亡くなり廃業する。

その当時は、母が亡くなった事で入ってきた県民共済のお金で細々と暮らす。

2024年春頃、買い物先で転んで緊急搬送。ケガは軽傷。それ以降、転倒が多くなり、仕事中にも転倒したから助けて欲しいという連絡入るようになる。

2025年3月 足の不自由な父に代わり私が生活保護の申請を行う。

2024年5月 生活保護の申請が受理される

その頃から更に、転倒が多くなり、掴まり立ちがやっとの状態となる。公団が狭い事もあり、テーブルや壁伝えにどうにかトイレまで行き、排尿、排便する。

春先に一度、介護認定を受ける審査の結果は要支援2。

しかし、夏を控え、今の状態だと父の命の危険もありうると思い危機感を募らす。

その頃に、要支援2+生活保護でも行政の許可の元、有料介護施設入所が認められる例外もある事を知る。

その後、父の介護申請の為の病院、足が少しでも良くなるように病院に行く、有料高齢者施設に生活保護者の入居について実際の話を聞きに行く等の事で休日、有給を30日近く使う。

2025年7月 行政からの許可が下り、有料高齢者施設を探す、夏に差し掛かりできる限り早く施設を探したいと思っていたが、妹と父の介護方針でもめて半ば絶縁状態に

そして、夏になり熱中症の危険もあると思ったのか?妹が勝手に近くの介護老人保健施設(老健)にショートスティ入所させる。妹は仕事をやめて、嫁ぎ先の他県に戻る。

2025年9月頃 老健でも転倒する。また、度々転倒したと連絡が来る。

2025年10月末頃 施設を父が非常に嫌がり、公団に戻りたいと訴える。また、せん妄の症状が見られ、真夜中に電話がかかってくるようになった(最終的には着信拒否)

老健の責任者の人から父がどうしても家に戻りたいという事で、父、老健の担当者、妹、私で父の一人暮らしを支える為の話し合いがもたれる。

私は父の願いを叶えたいと思い、一度は公団に戻る事を許可する。しかし、老健でも転倒する父が公団の一室に戻り一人暮らしは、私、そして妻、家族はもちろん、老健の在宅介護ケアマネージャー、お弁当の宅配の見守り、そして、最終的にはレスキューの対応まで考慮する必要があり、そのことを考えると非常にストレスとなり、不眠、うつ病発症の恐怖を覚える。

2025年11月初め 老健の責任者に連絡して、このままではうつ病の発症もあり得ると話、再び父と話し合いの場を設ける事になる。そこには行政福祉担当者、老健責任者、私、父で話合いとなり、最終的には今いる老健以外ならどこでも良いという事になり、私は再度、生活保護で入居可能な有料高齢者施設を探す。

2025年11月中旬 生活保護で入居可能な有料施設が見つかり契約する

2025年12月末 父の言動がおかしいと老健より連絡があり。また、尿の出が悪く前立腺肥大の為、尿管に管が入る

2026年1月初め 急性硬膜下血腫の為に緊急入院

2026年1月末 退院即有料高齢者施設入所 

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